丁寧に、、という言葉の  魅力 と 怖さ

私達の毛皮を作る現場でも、良く使われる丁寧に、、 という言葉があります。
もちろん、とても良い意味に使われています。しかし、時として、多くの技術者が丁寧という言葉に騙されてしまうことがあるようにも思います。

丁寧に手間をかけて作れば、いつでも綺麗なものが必ず作れるか?というと、そうではありません。丁寧にやれば綺麗にできると考えているのは作る側の一方的な思い込みであったり、経験のなさからくる結果なのかもしれません。それでも、一般的には丁寧な仕事だと言われることは、とても誇らしく感じ、悪い気はしないものです。

しかし、ほんとうにそれで綺麗なものが仕上がるのかは、また別の問題です。もちろん、綺麗と感じる感性も人それぞれです。それを人それぞれと理解していても、毛皮の中に共通して響く何かがあると、きっとたくさんのひとに綺麗!と感じてもらえる何かがあると、、、 信じてパショーネは商品を作っています。

そんな中で丁寧にという言葉に、自分がうっかりはまってしまうことがあり

私達の毛皮を作る現場でも、良く使われる、丁寧に、、 という言葉があります。

もちろん、とても良い意味に使われています。

しかし、時として、多くの技術者が丁寧という言葉に騙されてしまうことがあるようにも思います。

丁寧に手間をかけて作れば、いつでも綺麗なものが必ず作れるか?というと、そうではありません。

丁寧にやれば綺麗にできると考えているのは作る側やお客様の一方的な思い込みであったり、技術者の経験のなさからくる結果なのかもしれません。

それでも、一般的には丁寧な仕事だと言われることは、とても誇らしく感じ、悪い気はしないものです。

しかし、ほんとうにそれで綺麗なものが仕上がるのかは、また別の問題です。

もちろん、綺麗と感じる感性も人それぞれです。

それを人それぞれと理解していても、毛皮の中に共通して響く何かがあると、きっとたくさんのひとに綺麗!と感じてもらえる何かがあると、、、 そう信じてパショーネは商品を作っています。

そんな中で丁寧にという言葉に、自分がうっかりはまってしまうことがあり、冷や汗をかきます。

綺麗に作れるかどうかは、丁寧に作ることとは全く関係がなく、ひたすら自分が思う”綺麗”という目的に向かって作ることであり、無駄なことをせずに、綺麗に直結する必要なことだけをやるだけのことなのです。

そこに手間がかかったか、簡単にできたかは関係はないと、そう思って毎回作っていても、何度も丁寧、、という言葉に、はまってしまい大事なことを見失うことが多く、いつも、まだまだだなと感じます。   長澤祐一