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最近、チンチラのお直しをしたなかであったことです。
最近では珍しく画像をお客様の了解を得て載せます。

 

チンチラは毛皮のなかでも特に弱い素材です。皮全てが弱い訳ではないですが、腹の部分の皮が薄くよく切れやすいのです。鞣しが良いものは、良く伸びてくれて切れませんが鞣しの悪いものは保管条件による劣化も早く、最初からの部分劣化も良く見られます。今日の画像は、おそらく最初からの部分劣化でしょう。私も時々ですが、バンドルで新しいものを買っているはずなのに皮全体が劣化していて、引っ張って簡単に切れてしまうものも、これまで数回ありました。原皮屋さんの保管場所がたまたま悪く、その数枚に強くエアコンの風があたったりして起こることもあるかもしれませんが、ほとんどの場合は鞣しの段階でだと思います。もちろん、鞣しの問題でもありません。鞣し前の皮に問題があったのだと思います。

このチンチラマフラーが国内加工か海外かは分かりませんが、国内加工だと推測して記載しています。マグネットが留め具としてついていて、その止め方がチンチラに直に取り付けられていて皮に強く負担がかかる状態でした。マグネット付近もすでに切れていて、せめてマグネット付近くらいは芯が貼ってあればなと感じました。

私のところでは当然、自分で原皮を仕入れて自分で作るのですが、一般的にはメーカーまたは問屋さんが下職(工場)に委託加工として出して、職人さんが作ります。そのため、一本のマフラーを作るのに原皮の使用枚数を指定されますので、多少悪い部分があったり、今回のように劣化していても使うしかないのです。一部には申告をすれば通る場合もありますが、原皮を余計に使うということを申告するのはしずらいものです。

ただ、今回の画像のように細かく劣化していてすでに切れているものを縫い直すこともなく薄い芯のようなものを貼って製品に仕上げるというのは、やはりまずいです。使用回数にもよりますが、いずれ必ず芯が剥がれ切れた部分が毛の間から露出してきます。

私は普段は、私自身が技術者であるために、努力をしない技術者には厳しい意見が多いです。ただ、今回のこの処理をした職人さんの気持ちは、よく理解できます。私も以前、30年くらい前にはメーカーとして起業する前のことですが、独立当時は委託加工を受けて加工を専門に仕事をしていた時期があります。おそらくですが、この手のマフラーの加工賃は時給換算しても1,000円にも遠く及ばないのが想像できます。何十年も前に、国内加工会社の社長に、大量に受けているマフラーの加工賃を聞いたことがありますが、その時、彼は、 ”長澤さん、工賃なんか恥ずかしくて言えないよ” と言っていました。

よく加工を出すメーカーや問屋は、こっちだって予算がありギリギリだし大変なんだ、、、と言いますが、それでもちゃんと休みも取れて余裕を持った生活をしているところが多いはずです。中国との競争で価格競争に30年以上も前からさらされて来た国内加工屋さんにとっては大変な時代です。そんな状況にも拘わらず大量に仕事を出すから安くしろと言われて仕事を受けるしかないという状況は私にも経験があり他人事ではない気持ちになります。儲からない仕事を大量に出されたら赤字が拡大するだけなのです。そんなことも知らない無知なメーカー側が多いというのは、この業界だけではないのかもしれませんが悲しい状況です。私は今そんなメーカーや問屋からの仕事を一切していないので、どんなことでも言えますが、仕事をもらっている立場は、余程大きな規模か、技術力でもない限り弱いです。

例えば、付属代が加工賃の大きな割合を占めるストールなどでは、出す側はこれがこれまでの業界の相場だからと言って自分に都合の良い解釈と言い訳をして譲りませんが、とても理不尽なことが多かったのを記憶しています。一度大手のメーカーさんの下職をしているところに仕事をお願いしようとしたときに、職人さんが言ってたのは、そのメーカーの仕事を100%にすると食べていけないとも言っていました。それほど、職人さんにとっては厳しい現実があります。もちろん、仕事を出すほうの側にも、きっと職人さんを維持するために無理して現時点で必要のない商品を作ったりすることもあったことも認めます。そこに甘んじて必要な努力をせずにいた技術者もいたと思います。今、現在そんな関係でつながっているメーカーと技術者がいるかどうかはわかりませんが、どちらにしても難しい問題です。厳しいようですが、最終的には技術者が自分自身で解決しなければならず、誰にも頼れない問題でもあります。

話それました。毛皮加工業はとにかく厳しいのが現実です。そんな厳しい現実のなかで劣化してボロボロになったチンチラの皮をとりあえず見えないから縫わずに芯を貼って誤魔化そうとする気持ちはせつないほど私にはよくわかります。そして、苦しかった当時を思い出します。もちろん、私が同じことをやることはありません。しかし、食べるための方法の逃げ道として使った今回の処理の辛い気持ちは理解できるのです。

 

そんなことを独立して数年経験し、これはダメだなと思い、全ての委託加工の仕事をきっぱりと断り、であればメーカーに自分がなろうと決心し、今に至っています。しかし、過去にも私と同じように加工屋さんが少し大きくなって原皮を自分で仕入れてメーカーや問屋のようになったところがありますが、その大半が潰れています。それくらい難しいことなのです。

その後、大きな毛皮の国際見本市に出て、海外業者からイッツパーフェクト!と賞賛されたりして、加工仕事をやめて数年間、いくつかの大きな(今は倒産しましたが)呉服屋さんの展示会に出て、100着くらいのオーダーを取ったり、小売店と取引したりして、最後は、このブログでもよく書いている某百貨店毛皮サロンに常設するところまで辿り着いたのです。

おそらくですが、技術者が立ち上げた会社が、あの当時も日本一と言われていた毛皮サロンに入ったのは、そのサロンの長い歴史の中で私の会社だけだったと思います。当時もそのサロンは大きな問屋さんが競合しあっていましたから。大きな会社の方が度々サロンマネージャーに挨拶にきて常設を頼んでいたのをよく見かけました。そのサロンで当時、私が作って納めていた問屋さんが、その毛皮サロンで、ものすごい勢いで私の作るシェアードミンクコートが売れていたこともあり、その商品力は知られていて、当時その取引先が倒産したのを機に、知人を介し当時の取締役さんの紹介もあって、本店の当時の婦人服のGMにお会いしたりと、手を尽くしながら出店にたどり着きました。最終的には当時のサロンのマネージャーが素晴らしく優秀な方で、商材をよく理解してくれて引き上げてもらったことで今があります。

今はもう撤退いたしまいしたが、常設当初は、ある方に間接的に聞いた話ですが、ある問屋さんから(現在はいません)、パショーネ以上の商品をいくらコストがかかってもいいから作れ、そしてパショーネの特徴を潰せ、追い出せ、、、とすごい指示が飛んでいたらしいです。

私は、当然、怖くもなんともなく家内と笑っていました。だって作れるならとっくに他社が作れているはずですから。私が作っていたシェアードミンクは、そんな簡単に出来るものではありません。似たようなものさえ作れなかったのです。

ひとつ付け加えますが、パショーネが商品力だけで、あの日本一といわれた毛皮サロンに20年も在籍出来たわけではありません。
あの毛皮サロンは商品力だけで残れるほど甘くはなく、商品力以外にも販売員同士の熾烈な競争や量的競争、企画力など、あらゆる部分で戦いがあり、そんななかで、自分の力をしっかりと示し、そして上手く協調もし、丁寧に時には面白く顧客対応をしたりと、あらゆる努力をしてくれた、当社専務でありデザイナーでもある家内がいたからこその20年だったのです。

私はあまり自分を職人とは呼びません。どちらかというと技術者またはエンジニアのような感覚で毛皮と接しているからかもしれませんが、ひとつには過去の職人時代の辛い時期があったことも影響しているのかもしれません。それともうひとつには、昔、有名な建築家が言っていらっしゃった言葉で、システムのなかに感性をちりばめる、、というような発言があり、その言葉に何かを感じ、自分の作る作業工程のなかに数値で判断できるものはないだろうか?または各工程のなかでの作業順番を変えることで美しさの表現が変わったりするところに着目したりと、職人というよりはエンジニアのように仕事をしてきたことが今につながっています。CADもやってCGや3Ðシミュレーションソフトを使ったりと毛皮の技術者としてはかなり珍しい部類だろうと思います。

話を戻しますが、国内毛皮業界ではそれほど作るひとの立場は弱く、全てではないと思いますが、その弱い職人さんたちの上に成り立っている人たちがいるという現状が、今回のチンチラのずさんな処理を生んでいるとも言えます。私も、あ~気持ちはわかるけどな、でも買うお客様には関係のない問題だからな、、、と複雑な気持ちになります。

今現在、周りを見渡しても過去にそういう経験を強いられたメーカーや問屋の多くは今は存在しません。一時的には仕事を受けますが、あまりに理不尽なメーカーからは皆離れていき、最後には潰れています。作り手をないがしろにしてきたところはやはり最後は自分に返ってくるということの証です。

今日は、私の過去の辛い時期の話も含めて国内作り手をテーマに書きました。ただ今はネットで自分が作ったものを誰でもが売ることが出来る時代です。それぞれがそれぞれの工夫で自分の生きる道を模索できる時代です。努力すれば以前よりは報われる可能性があります。自分も含めてですが、頑張って欲しいと思います。

 

最後にひとつだけ、、、加工賃がどんなに安くても苦しくても、今もそうですが当時も技術開発や自身のテクニックを磨くことを止めたことはありません。技術者として、それだけは誇れます。  長澤祐一

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