技術職の技術の出し惜しみと価格

今日は、技術職の技術の出し惜しみと価格 というタイトルです。

今日も難しいテーマです。

出し惜しみというよりも、出し惜しみが出来ない職業だという意味のほうが正しいかもしれません。

 

例えば、価格に応じてやることが変わるということがあります。

私たちのような、物を作る仕事や、それ以外にもたくさんあります。

最初に書いておきますが、価格に応じて、やる仕事のクォリティーがコントロールできる仕事もあります。

しかし、私のような毛皮を作る仕事では、料金が低くても高額であっても、やる作業の内容に差は出にくいのです。

もちろん、作業に見合った料金設定をするのですが、受けた仕事の作業内容が想像以上に難しい場合もありますから。

私は字が下手ですが、字の上手な人が下手に書けないと同じで、わざと下手には作れないものです。

 

よく、いろんな仕事のなかで料金次第でもっと綺麗に作れますという人もいるかもしれません。しかし、自分の手で作るものや、自分の感性で仕事をするような場合には、わざと下手には作れないものです。

 

明かに作業内容が違っていて価格が違う場合には、それもありですが、普通に絵をかいたり、物を作ったりする場合には自分の持っている能力の最大限を出すのが普通です、、というか普通にやっても力のある人は自然に高いレベルの仕事が出来てしまいます。

言い方悪いですが、手抜きをしたつもりでも勝手に高いレベルの作業になるのが普通です。それが力があるという証です。

 

量的な問題で手間がかかるということは理解できます。しかし、一つの仕上がりの質の部分で言えば最初から高いレベルというか質の高い仕事が出来るひとがいて、逆に何度やり直しをしてもらっても出来ない人もいます。

そんなときに、この料金ではな、、、と心のなかで考えるかもしれません。しかし、よく考えてみてください。出来るひとは最初から出来るのです。

相手の望むものを理解して、最初から納得できるものを提供します。

前々回のブログで手間がかかるから儲からない、、という記事を書きましたが、力があれば最初から納得させる結果が出せるはずなのです。

もちろん私がどうかといえば、なかなか一発OKというのは目指してはいますが、なかなか出来ていません。

それでも、例えばデザインやパターンなどでは、結果を見せる前は散々、考えて作業をやり直したりしますが、お客様の前に出すときは完璧な状態で出そうと考えています。

まだまだ、綺麗な字を書く人のように、サラッと綺麗に仕上げることができません。七転八倒しながらです。

そんなときに料金のことなど頭からは消えています。

そして、出した結果に、お客様も自分も納得したときに初めて充実感が味わえます。

たまたま、お客様が喜んでくれる時もあります。しかしそれは自分のちからで出した結果ではありません。単純には喜べません。

それで喜んだら進歩などしませんから。

私達のような仕事では料金次第でやることを変えるということが本来は難しい仕事なのです。

たまに料金を頂ければ、もっと質の高いものを、、、なんてところがありますね。

でも、初回の作業をみれば、仮に金額を出してもどうかな?と思うこともあります。

ほんとうに自分に備わった技術や能力があれば、料金に関係なく綺麗な仕事ができて、技術を持たなければ、高い料金をもらっても、何度やり直しても出来ないものです。

だからこそ、自分の技術がひとの期待に応えられているのかを継続して考えるのです。

再度、読み返し付け加えます。記載にあるように私が出来ているわけではありません。ただひとつ言えることは、誰よりも時間と自分の現在の能力を使い切るまで、一回一回の ”作り” に向き合っているという自負はあります。

シーズンが迫ってきていて、作業に追われていますので、以前のように、また投稿の間が空くかもしれません。すみません。

 

 

長澤祐一