モデリストI氏の言葉

以前、当ブログで「モデリストの技術(テクニック)」という記事を書きましたが、当時、I氏はこんなことも言ってました。

紳士服において、袖付がとても重要な部分で、I氏が当時何と言ったかは明確に覚えていませんが、ある袖の形に対して、多分イタリアの工場のことを言っていましたが、日本の工場では、とても雰囲気をだすのが難しいある袖のかたちが、その工場で常に均一に仕上がってくると。

そして、重要なのは、そこに優秀な職人さん(技術者)ばかりがいるのではなく、あくまで一般の工場に勤める人達で縫われているんだと。

当時、I氏は、”すごいよな~~あの袖が、普通のラインで出来上がってくる。特別優秀な技術者ばっかりで縫っているわけでない。それがすごいことなんだよ。日本じゃできないな、あれは。あれが、技術だよな”

と、彼が目指している技術というものがそこに、まさにあると言わんばかりに思いにふけるように、それを言ったきり、ふ~~~っとため息をつき、黙ってしまったのを覚えています。

その当時はなかなか私も理解することが出来ませんでした。私にはI氏は天才のような人でしたから。それでも、その言葉の意味をいつも仕事に置き換え、テクニックと技術、、 似たようで、まったく相対するその意味をずっと追いかけてきました。

要は、I氏は、特に優秀というわけでもない普通の縫製工員で、とんでもなく難しい袖付けや肩回りの仕上がり、雰囲気を作り、それを維持するのは工場の縫う人が替わっても、品質が落ちることがなく仕上げることができる独自の技術があるからだということを言っていたのだと思います。

そこには、様々な工夫を工程のいたるところで積み重ねられているという事実があり、それこそが会社を強くする本当の技術だということをのちに私も理解することとなりました。

I氏は毛皮を作っていても、必ず簡単な治具を作ったりしていて、彼が開いた、その小さな毛皮のアトリエのいたるところに、その哲学があり、たまに見に行く私には、すべてが勉強になっていました。

もちろんI氏はテクニック(個人の技術)においても、何をやっても一流を超えていて、個人のテクニックを否定しながらも、彼自身のテクニックは圧倒的な高いレベルにあったことを最後にお伝えしておこうと思います。

長澤

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